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布引渓谷は信濃の耶馬渓と言われており、大自然が創りだした渓谷美は四季を通じて人々の目を楽しませてくれます。この滝もその中の一つで春から夏にかけては緑に、秋は紅葉のベールに包まれます。近年の温暖化と水不足であまり見られなくなりましたが、冬はみごとな氷滝を作り上げることもあります。 布引山の裏の台地は御牧ヶ原といい、平安時代は朝廷直轄の官牧でした。紀貫之が詠んだ「望月の駒」は当地で育った駿馬です。馬を朝廷に納める際に唄われた唄が小諸馬子唄の原唄「小室節」として現在も唄い継がれています。 参道には信者が安置した無数の木仏、石仏があり、道行く人々の安全を見守っていてくれます。
「牛に引かれて善光寺参り」の伝説発祥の地にふさわしく、岩に牛の姿が現れています。 参道の途中にある洞窟です。善光寺まで続いているといわれ、善光寺火災の際にはこの穴から煙が出たと伝えられています。 岩上に不動尊が安置されていることから不動滝と名づけられています。 現在仁王門は通行することはできませんが、背後にそびえたつ崖に観音堂が見え、京都清水寺のような景観を楽しめます。 この社殿は往時、御牧原の白山地籍よりここに移築されたと言われています。一間社春日造、屋根は柿茸、破風、木連格子、鬼板の「ひれ」および水玉模様のような丸紋などは、大面取の柱とともに、室町時代中期を下らない時代の特徴を良く表しています。昭和34年(1959年)に修復され、同年、長野県宝に指定されました。 六道地蔵ともいい、衆生がそれぞれの行いによって生まれ変わっていく六種の迷いの姿を地蔵尊に現しています。六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上のことをいいます。 観音堂内にある仏殿形の厨子で、「建造物」として国の重要文化財に指定されてます。入母屋造、板葺。軒下の蟇股(かえるまた)や、地長押の下の格狭間(ごうざま)など、細部の形式に鎌倉時代建築の特色を示しています。 |