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真田家家宝の武具、調度品、文書、美術品などが展示されています。大阪夏の陣図屏風(大阪城天守閣蔵の複製)には赤備えの真田隊を指揮する真田左衛門佐(通称は左衛門佐、信繁が本当の名。幸村というのは江戸時代になってからつけられたもの)が描かれています。この屏風図を見ると真田幸村は六連銭(正式には六連銭、一般に六文銭)の旗印を用いていませんでした。これは徳川方で参戦していた叔父の真田隠岐守信尹、甥の真田河内守信吉・真田内記信政らに迷惑をかけないためだといわれています。 真田氏が上田城に移る前まで用いていた居館跡で、中世豪族の居館が完全な形で保存されています。現在は御屋敷公園として整備され、ツツジの名所でもあります。 真田山城、松尾城、住連寺城、城山などとよばれる天然の要害です。砥石城や矢沢城を一望できます。 「真田家発祥の郷」の碑が建てられています。 山づたいに尾根を活かし、枡形城、本城、砥石城、米山城の一連の城から構築されています。もともとは海野氏の物見台でしたが、村上氏が侵攻し、難攻不落の城として整備しました。武田晴信との戦いで武田軍に大打撃を与えた「砥石崩れ」の舞台として有名です。この戦いの時に水の補給路を絶たれた村上軍は米で馬を洗って見せ、水には苦労していないと武田軍を欺いたという伝説もあります。十一月の砥石・米山城まつりでは白米伝説が再現されます。 海野氏の開基した寺で、海野氏、真田氏の用いる州浜の紋が本堂の屋根などに飾られています。 真田幸隆が妻の菩提を弔うため、開山しました。真田昌幸の代に整備され、真田氏の菩提寺となりました。幸隆夫妻と昌幸の墓があります。美しい石のアーチが印象的です。 真田の里の産土神で、大国主命、伊邪奈美命、菊理姫命が祭られています。 室町時代に建立された寺で、長篠の戦で戦死した真田信綱の位牌所となっています。信綱の血染めの陣羽織が残されています。 烏帽子岳山麓の大渓谷。秋には紅葉が美しく、猿飛佐助の修行の地といわれています。
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